蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

頓珍漢か…

世の中には、本当にのっぴきならない境地に追い込まれる瞬間がある。世の中が成熟してくると、皮肉なことに、その行き過ぎた豊かさが人の首を絞めることがある。
 
娑婆の軋轢からくる痛みや苦しみは、会社勤めした人なら骨身に染みて知っているものだ。そこで受けた差別にも似た感覚が少しでも残れば、その人は終生忘れはしないだろう。
 
而して、それを体験することもなく、疑いすらもつこともなく、とりあえず家業を継ぐ感覚を当然と思ってつらっと教師になった人間―――。そんな人に、痛みに喘ぐ人の目線には下りることなど絶対に出来ぬ。
 
祈願する人の向こう側には、人には言えない激しい痛みと深い苦しみを抱える大勢の守られるべき人たちがいる。その人たちを守ろうと奮闘したいが、足腰が立たないくらいに痛めつけられている人。その人が藁にもすがる思いで結縁信心の願主となって、可哀そうに、やみ雲と言われようが、必死になって合掌し、線香を手向け、もがきにもがいている現実を知っているか。
 
そういう人の抱える本当の悲しみに、どれくらい残酷なことをしているか、分かっているのか―――。
 
それに気付けないなら、とっとと滅びよ。世間から一顧だにもされず、誰からも忘れ去られ、朽ち果てよ。
 
映画『おくりびと』で、湯灌をする人の傍らに、僧侶の“そ”の字も描かれなかった現実を、真正面から見ることだ。世間は、その『おくりびと』に感銘し、賞賛した。
 
『坊さん?、もういいよ』…、それが世間の本音ということだろう。