蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

理智不二界会礼讃の“効き目”

当山派修験道の帰依の本経と言えば、『理智不二界会礼讃』。
 
告白すると、なかなか読経する機会がなく、『一体どうしたものだろうか』と悶々としていたのだ。実際、理趣経を読んでしまうと、大抵そこで『もう十分かな』と思って安心してしまう自分がいた。
 
色々と自問するに、『そもそもどういう時に読むお経なのか』。こういうそもそもの基本事項を自分は見失ってしまっているのではなかろうか、そんなことも考えた。
 
尤も『なんのため』とか、『なにをどうする』という計らいを捨てて読経することが、修行の基本である。基本であるけれども、ここが凡夫の辛いところで、実際に優先順位をつけないと、日常の収拾がつかないことも事実なのだ。何しろ、日常では俗事に追われまくっている哀しき身でもあり、本当に悩ましい。
 
先ごろ、念願の『当山方修験勤行式』(EMIミュージックジャパン)のCDを入手。諸先輩の読経を何度も聞いているうち、何かこうピンとくるものがあった。
 
★ 結論を言ってしまえば、『修験道教師の般若理趣経に当たる』である…。
 
『何だ、そんなことか(!)』と言わないでくださいネ。 私の率直な意見ですが、祈願でも、滅罪回向のお祈りでも、両方のお祈りに効きます。“効きます”とか言うと、また叱られそうですが、最近の祈願の中で感じることが多々あり、そのCDにあるように唱えてみたところ、とても心が落ち着いたのである。
 
『心が落ち着く』とは、なんだか可笑しなことを言う奴だ、と言われそうだが、心の安寧を得てするご祈祷にはとても強いチカラが発揮されることは、私以上に諸師のよく知られるところではないかと思う。
 
◎ 『多分…、亡者得脱に向けて祈る中で、その亡魂の納得があったのだろう。』
合掌