蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

戸隠神社

仕事納めの翌日は(12/29(木))、かねてより計画していた雪の戸隠へ。
 
イメージ 1
宿坊、能海坊徳善院“極意”である。築300年以上、修繕からは200年以上になる文化財指定の建物である。
 
イメージ 2
徳善院蕎麦だ。戸隠には冠婚葬祭の公式行事において、蕎麦を供する伝統が継承されている。『ぼっち盛り』と呼ぶ、独特の盛りつけが特徴だ。
 
イメージ 4
このお蕎麦はご飯の代わりなので、お代わり自由だ。一度食されることをお勧めしたい。“蕎麦通”ならずとも、感動の一食だ。個人的には、ほとんど『芸術の域』という感じ。他のお店のお蕎麦は、当分食べられないかも…。また、このザルだが、独特の編み方をしていることがお分かりだろうか。たしか戸隠のスタイル――、そうお聞きした記憶がある。
 
イメージ 5
戸隠の宿坊は、『聚長(しゅうちょう)』と呼ばれる人が、代々のバトンを受け継きながら今日に至っている。即ち、多くは『御師(おし)』と呼ばれる、神社を支える宿坊を戸隠では『聚長家』と呼んで、その家の主人が信仰を護持しているのだ。
 
イメージ 6
この扁額の下に、宿坊の内神殿の入口があり、荘厳された内神殿にて毎朝、大祓祝詞と般若心経による礼拝が執行されている。般若心経――、そう、ここ戸隠は長く神仏習合修験道場であり、神道式にした歴史は神仏分離令の以降、たかだか140年くらいの歴史しかないのである(極意聚長家談)。
 
イメージ 7
宿坊のすぐ横には、戸隠中宮社が建立されている。ご覧のとおり、雪の中である。晴れていたが、実は粉雪が舞っている状態。奥社など、とても参拝できる状況ではなかったので、残念だが中社のみのお参りとなった。因みに中宮社のご祭神は『天八意思兼大神』(あめのやごころおもいかねのおおかみ⇒天児屋大神(あまつこやねのおおかみ))である。天照大神が天の岩戸にお隠れになった際、神楽の一計を案じ、自らは祝詞を奏して天照大神を外にお誘いするきっかけを作った智略の神さまである。さらにこの時の大神さまの言葉が、後に祝詞として奏上される最初とされている。
 
イメージ 8
戸隠を後にし、善光寺へ。今回は、学生時代を合せると三回目のお参りだ。チベット騒乱の一件では、善光寺における『静かな抗議行動/祈り』は、我々の記憶に新しい。不条理をなす国家に対して、私たちは慈悲の心を通じた“祈り”をもって応え、国際社会に対して正々堂々と呼びかける――。その後、ダライラマ法王をお迎えして、我が国の僧侶が共に祈りを捧げた事実こそ、私たちの(普遍的と言って良いだろう)まさに原理原則なのである。
 
イメージ 3
いつものことながら、お寺オリジナルのお香コレクションだ。
 
★皆さま、良いお年をお迎え下さい。 
『南無戸隠五社大権現』
合掌