蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

星の信仰

宿曜道』のトラックバックを頂きまして、(どなたかは存じませんが)どうも有り難うございます。お恥ずかしいのですが、これがブログにおける『トラックバック』なるワザであるかと、いたく感心した次第です。

良い機会だと思い、宿曜道占法について、実際にどのような用いられ方があるか等を含めて、概略を説明/紹介したいと思います。
この私が、ご縁を得て授けて頂いたものは『尊星王流宿曜道』(そんじょうおうりゅう…)と申します。天台寺門宗の羽田守快師によって創流/主宰されているもので、『従来型』のそれとは一線を画し、極めて実際的であって、且つ、立体応用の活用を図るものです。私自身は、都内某所において、およそ3年間に渡り、天台諸師だけでなく真言各派の諸師数名と、机を並べて講伝を受けたわけでございます。現在は、その門人会の末席を汚しているところであります。

通常の宿曜道占法では、27宿星、或いは28宿星の象意による日日の傾向、そして性格・運勢鑑定と、さらに三・九秘法の鑑定に沿って行う相性鑑定が代表的な項目になっています。そもそも宿曜経自体が、ある意味『人間学の分析書』の如き洞察力をもつものですので、特に相性鑑定などでは、非常に示唆に富む鑑定が可能であり、これが最も特筆すべきこととして知られていることは、よく知られたところではないかと思います。

ところが、これだけで終わらせてしまうのならば、『九星気学』『紫微斗数』『四柱推命』などにある代表的な占法に対しては、所詮は前座にしかならないのでは?―――。との疑義から、運勢鑑定(看命)や相性鑑定(敬愛)に止まらず、時系列の流れを把握することで行う(非常に精密な)年・月・日運の鑑定(行運)、さらには、宿曜道が本来的に不得意とする『方位鑑定』まで行えるように、羽田先生の創意工夫が随所に凝らされているのです。

とりわけ『方位鑑定』においては、『室内/配置替えのアドバイス』を行うことで、敢えて『風水』に頼らず、これで十分に対処することが出来るようになっていることは、昨今の住宅事情を考えたとき、非常に大きな武器となるもので、一大特徴として挙げるべき箇所だと思っております。

ご参考ですが、この方位鑑定に関してだけは、宿曜道だけに任せないで『気学』を併せて学ぶよう教わりました。前述したとおり、もともと宿曜経は、そういう用いられ方を想定していないと思います。何故ならば、仏教信仰には『迷悟三界城…』を大前提とするものがあるからです。ともあれ、ホントに基礎的なものですが、併せて観るようにしています。『う~むむ』とか、唸ってます(笑)。

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【注記】
この尊星王流は、密教修験道の事相門伝授の一環としておりますので、『これで一発当てたい』みたいな不埒な考えの人ならば、門前払いとなります(為念)。あくまでも『三宝篤信の人』であって、秘法伝授に向かう情熱を失わない人こそが、正法受法における有資格者となります。とりわけ『看命編』にある運勢鑑定では、三世因果の理をよく知った上で実践しないと、とんでもない心得違いが起きるような気が致します。
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そもそもこの宿曜道の活用とは、弘法大師が請来された宿曜経の主意によって、例えば大阿が弟子らに秘法の伝授日を決める場合、行者が願意に基づく各秘法執行の日取りを決める場合など、世間に仏意を十分に知らしめたいと発願するような場合にのみ、その活用を考えることを、大まかには、基本原則として良いのではないかと思います。そういう意味では、『星供』の執行など、この宿曜道占法で日取りを決める事は、(実のところ)非常に重要になっていることは、ここまでの説明で、何となくお分かり頂けたのではないかと思います。

尤も、密教では『方便を究竟と為す』(大日経住心品)の教えに従って、世間の渇仰信徒に活用することに対して、決してやぶさかにしないことも事実です。いたずらに秘法にホコリを被せる態度は、ある意味罪なことであり、そうであれば、思い切って間口を広げ、つまり平面的な箇所ならば、立体的になるよう改造して後、世間一般に問うとする態度は、専ら仏意に沿うことである―――。そのように考えなくてはいけないと思っております。

さて、その義妹夫婦の会社設立登記日について、であります…。
高尾山のお参りを通じて頂いた利生によって、その後半年くらいだったでしょうか、当初の個人商店から有限会社設立へと、話がドンドン進んで行きました。その時、私は、その宿曜道占法で設立日における吉祥日を鑑定し、いくばくかのアドバイスをしたのです。正しく努力をする限り、『天空の星すら差配される仏天の加護によって、理不尽な障害を打破し、併せて、努力に見合った恩寵を頂けるような仕組み』を念じて、至心に鑑定/設計したつもりでございます。