蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

前行法要~唱礼~

師僧のお寺で、今は事情があって中断している法要。私たちのところでは『唱礼』(しょうらい)と呼んで大切にしていた。

遷化された先師/F大僧正は、生前とても熱心に取り組んでおられた。私自身の南山声明それ自体に対する興味も手伝って、その反復練習のためウォークマンで何度も何度も、それこそ一台つぶしてしまうくらい練習したものだ。(実際にそのウォークマンは壊れてしまった…)

声明と咒(しゅ⇒真言マントラ))によって構成されたそれは、作りとしてはシンプルなものだ。しかしながらシンプルであることの意味は、個々の声明それ自体を唱えるために、やはりと言うべきか、一定期間のしっかりした練習が求められるのであって、要はその部分での誤魔化しは効かないことを意味する。

私の所属する宗派では、密教修験道は、車の両輪の如くに研鑽する伝統になっている。『オレは修験道だけだから』と、安直に行者然としているなら(敢えてこう言ってしまうが)、この法要への参座は、その人にとってまったく無意味なものになるに違いない。

『声明が僧侶としての基本になるからね』とは、今の師僧の言葉である。声明の練習くらい、地味で退屈なものはない。それゆえ所謂、行者然とした修行メニューに拘り過ぎれば、それはそれで、逆に声明の練習時間は『地獄』になる道理だ。

実際、私の場合、四智梵語讃をまともに唱えるため、ゆうに一年間くらい掛かったが、その間はまさに根競べみたいなものだった。尤も、一端それが出来ればだが(特に呂曲)、他の声明の理解度/習熟度は抜群にスピードアップした。まさにシナジー効果だ(笑)。

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時折小雪のちらつく厳冬期の本山。薄い白布で覆われた内陣。ここで、前行の七日間/一日三座~五座:計二十一座、全国から随喜した行者によって手替わりで修行されていく。法要中、朗々として唱えられる声明。その響きは堂内に満ちて、まさに大日法界の大曼荼羅が現前する。

その声明が一段落して一転。真言(咒)が経頭によって強く激しく唱えられるのを合図に、内陣を覆う白布が巻き上げられ、参座の職衆が唱和する姿が顕わに…。正面左の壇では護摩の炎が火の粉を散らしつつ赤々と上がり、その時、堂内一杯に激しく響き渡る密咒のそれは、参拝の善男善女の心に迷いあれば、一撃のもとに打ち抜くことになるだろう。

法要の最後段、『祈願の句』に至る。加持杖を床に打ち付けて『至心発願ッ!!』の構え…。全身全霊を込め、激しく―――、『一天四海!!』『護持大衆!!!』…。五大力尊の加持杖の先を見詰めて強く激しく唱えた―――。

先師との思い出、脳裏を瞬時に駈けて…、不覚にも泣きそうになった。F先生、どうも有り難うございました。