蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

今年の目標~その4~

当山派では『逆峰』と言って、大峰山を吉野から熊野方向に南下するコースを、往昔よりの倣いとしてきた。因みに本山派では『順峰』であるから、基本的には北上コースなのだが、最近では諸般の事情から、逆峰の修行にすることが多いとお聞きする。

目下計画中のその入峰修行においては、概ねその逆峰に準じるかたちを整えたいと考えている。既に、いくつかのコース設定を自分なりに考えたところで、地図とガイドブックを何度も見直しているところだ。

言うまでもなく、大まかには、通るべき『行者道』がある。そこにおいても、往昔の行者の歩いた道がある。残念なことは、江戸から明治に至る時期にあった廃仏毀釈の影響で、行場の位置関係が分からなくなっただけでなく、行者道途上のどこで立ち止まって法楽を行い、どこをどう心持ちで通過するなどの詳細が、まるで不明のままなのだ。

しかしながら以前にも記したとおりで、『ならば平成の行者なりに、ちょっとでもいいから復興の先鞭をつけるだけだ』と、そのようにして考え方を切り替えた。実際、先師の遺産ばかりを当てにするようでは、却って申し訳が立たないと言うか、相当に情けないではないか。

今回の『コース設定』において、とても重要視していることがある。それは『往昔の行者道』を出来る限り忠実に辿りながらも、万一のアクシデントに対応するべく『脱出ルート』を準備することである。

『脱出ルート』とか言うと、『何だ、それ!?』とばかりに応答されそうだが、慣れないコースを辿る場合、なお更これを検討しておく必要があるのだ。これはかつての経験に照らしてみても、もの凄く重要な作業である、と言いたい。

つまりは、『修行』として『あるべき姿』を追求するのと同時進行で、『臨機応変に対処する』ことを『修行』するのだ。哀しいかな不徳の身ゆえ、その万一に対処するのだと言って過言ではあるまい。どこの地点に至れば脱出ができるかを検討することは、不明不徳ゆえだからこそ、入峰させて頂く者の最低条件として必須に違いない。

『あるべき姿』vs.『臨機応変の姿』と記してみたところで、『なんだか上求菩提vs.下向衆生だな』と、フッと思ってしまった…。