蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

法身説法と加持身説法~その5~

『三密加持』の護持。それを万人に敷衍できない理屈はないとする、真言教師としての固い信念。

即ち『加』(他力)と『持』(自力)が完全調和して感応する『円満無比な世界観』。それ(=曼荼羅)を前提とする布教実践は、身命を賭して重要であり、これについて古義も新義もない。

ところで『中世の日本密教における等流法身』の中には、『末世を哀れむが故に、濁世にあって極悪悲壮の醜悪な容貌を敢えてとり…』とか、『三毒極成の醜相…』などと、デフォルメ表現された『天部と垂迹の神霊』の多く存在する実態を指摘しなくてはならない。

神仏習合』と巷で喧伝される声は、具体的には、中世日本の密教信仰実践を垣間見た瞬間から、奮然として相形をとり、その人の心内に轟然として立ち現れる。

ある人が言ったとおり、濁世を統御するチカラを希求するため。これこそが、末世思想の蔓延した中世日本を、浄土門の念仏三昧に代わって救済する切り札になるという期待/確信…。確かにそれは言える。

祈願すべきは、真言教主ビルシャナ仏へのダイレクトではなく、法身仏との繋がりを明確に保ちながら、而して『呼べば直ぐに応えてくれる神霊』、即ち、(醜悪なる)等流法身なのだ。

情念ほとばしる衆生の日常を慰撫するべく、神話性を強調し、確信し、三密加持へ。そして即身成仏を達観する宇宙観へ。

その祈願が叶わなければ、今日明日の命すら危うい…。ビリビリと張り詰めた緊張感の中で、布教理論の整合性を保ちつつ、宗祖弘法大師の真精神を発揮する―――。

新義派の説く『加持身説法』の背景説明では、ひとつには、自ら袂を分かった金剛峰寺を中心とする古義派への対抗目的であると。この説明は、思いのほか多く触れる機会のあることは、諸賢もご存知のとおりである。

別なる視点に立って、醍醐山/三宝院・理性院・金剛王院など、醍醐三流を中心とする真言小野流/高等研究機関(?!)の到達した、高度な事相研究エッセンス―――。それらを巧みに取り入れることで、末法の世の人々の心を捉えて止まない『浄土門の摂取』に対抗し、翻って、布教上のニーズに即応する『着想を得る』。

~続く~