蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

上田霊城大阿の教え

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真言密教事相概説』(全三巻)が先ごろ復刻(四度部は一部加筆修正))された。

実は『この本、欲しいなあ~』と思ったのは、松長有慶編『密教を知るためのガイドブック』(法蔵館・1995年)の中(弧教の文化・事相/事相について知る本・論文(佐藤正伸))で紹介されたことによる。

まずはそこでも紹介されていた『中院流の研究』(大山公淳著・東方出版)を、何度も読み直すことを(ひたすら)していた。私自身、中院流の徒弟ではないけれども、神供壇を自ら製作する羽目になった時、実に参考になった(!)。

それから数えて足掛け13年あまり…。

ようやく手控えとして、上田大阿の本を置くことが許された。当時、直ぐに求めることができなかったのは、『それなりのお値段(!)がする』ことが、目下最大の理由であった(と思い込んでいた)。そうこうしているうちに、品切れとなってしまって、時折ヤフー・オークションで中古書をみるくらい…。

『あ~、もう自分には縁遠くなってしまった…』と、嘆息していたのだった。

一方、長い時間を経るにつれて、それ以上の重大事由に、『自分自身が法器としてまるで相応しくない』ことがあったと(ものすごく強く)思うようになっていた。今回読み始めてみて、今さらながらそう感じて、まったく恥ずかしい限りだ。

そして―――、『どうして自分達の流派では、ここはこうするのかな?』といった長く疑問に感じていたこと。これを鮮明にし得た箇所がすでに複数あった。大変な収穫である。

安祥寺流―――、別名『御簾流』と言う。『外から中はうかがい知れないが、内からはよく見える』という意味合いから、そう呼称する。

中院流の宥快法印が正嫡となってその名を高め、江戸元禄期の浄厳律師が新安祥寺流を創流するに至った。(狭義の)小野三流の一流にして、他流を俯瞰することを一面の特色とする。(前掲書、密教辞典)

而してこの『俯瞰する』の意味するところとは、『信じて修する』ことをしていなかった13年前の自分には、とうてい理解できない大事だったのだ。

若しそうでない自分が目にしていたら、今ごろ、メチャクチャな作法をしていたに違いないのだから。