蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

丹沢山入峰修行

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平成20年11月1日~3日までの期間、私とお寺の副住職Yさんとの二人で、神奈川県の霊峰・丹沢山地(尤も今は、都会の山岳愛好家にとっての格好の登山フィールドである)での入峰修行を行った。

この丹沢山地(又は山塊)は、私の高校時代に遡るのだが、神奈川県立港●台高等学校ワンダーフォーゲル部に所属していたこともあって、非常な親近感をもつ山である。毎月一回の山行であったが、週末には登山者の格好で授業を受け(異装届なるものを提出していったけ…)、その足でそのまま出向いたものだ。

さて、本年平成20年は聖宝理源大師(832-909)の1100年御遠忌である。末徒の一人として何かしてみたいなという衝動は、本山行事とはまた別なところで、この私に何事かを強く囁いていたのだ…。

さて、初日(1日)は裏丹沢・青根の鶴屋旅館に一泊する。YさんとはJR橋本駅で待ち合わせ、そこからバスに乗ったのだが、土曜日だからなのか、凄い渋滞でビックリした。三ヶ木で下車後、旅館のご主人が迎えに来てくれた車に乗って、さらに20分間、山すその奥に分け入っていく。

翌朝、ご主人が書いてくれた地図(写真)を頼りに、地元鎮守の青根諏訪神社に参拝。峰中修行の安全を祈る。さらに、戦国時代の日向薬師大先達・勝快法印の首塚にて法楽。当山の新客となるが、自分達なりのご挨拶をする。

そこから林道を進み、きつい山道を数時間登り詰めて、ようやく尾根筋に上がった。しばし法楽。さらに少し進んで、ちょっと早い昼食だ。旅館お手製のお弁当。心遣いを有り難く頂戴する。

途中、数人のハイカーに出会う。私たちの装束が珍しいのだろう。携帯写真の撮影会ではないが、何度か立ち止まってお話をする間に、さかんにシャッター音が聞こえる。

八丁坂の頭を過ぎて、姫次に到着。ここは裏丹沢の中の、代表的なビューポイントだ。(写真参照)

そこから丹沢山地最高峰の蛭ヶ岳(1673叩砲鯲廚鵑如◆悗気◆繊△海譴らだ』と気を引き締めた。因みに、ビルシャナのビルが、蛭ヶ岳の名前の謂われだと聞いた。つまり最高峰であることから、大日如来のいます霊峰として、往昔の丹沢修験者がそのように考えたらしいと言う。

そこから、下って更に上ってを数回繰り返す。最後の登攀は、今回の峰中修行中、最も辛く、そして、最も感銘を受けた場所だ。シーンとした完璧な静寂の中、途中で振り返った青根村落の方向。まったく大自然の懐に溶け込んでしまったかのような、そんな深い感銘を受けた地点である。(写真参照)

さらに進んで、不動ノ峰を通過、ようやく丹沢山に到着した。辺りはすっかり日が暮れてしまい、気付けば5時近く。鶴屋旅館を出てから、ほぼ10時間が経過していた。

『心配しましたよ~』と、みやま山荘のIさんからチクリ…(苦笑)。『すこし荷物が重かったかな…、エヘへ』と誤魔化しました(苦笑)。

お聞きしていたが、みやま山荘は快適な山小屋だった。寝具は清潔だし、食事もおいしい。小屋もよく掃除されてキレイです。(良かったら訪ねてみてください)

翌朝、出立する直前、前々から気になっていた『みやま山荘に鎮座の不動尊と両部曼荼羅』に法楽をさせて頂いた。(写真:導師兼呪頭がYさん、その後ろの鉢巻姿は私デス^^;)このお不動さんは、かつて修験者がさかんにお参りした丹沢二番目の高峰/不動ノ峰(1614叩砲飽唾屬気譴討い燭、明治の廃仏毀釈以降のいつ頃からか、野辺に放置されていたそうだ。それが今ようやくにしてと言うべきか、山北町東光院ご住職の手で、このみやま山荘に安置された。

余談でありますが、ここのオーナー/Iさんは、私の霊感にも似た直感(?!)によると、前世は修験者ではなかったのかな~…と(笑)。とにかく、そういうオーラを発している感じなんですよね。

ざっと駆け足で、今回の峰中修行をレポートいたしました。反省点は一杯ありますが、ともかく行って本当に良かった。今は、ともかく感謝の気持ちで一杯だ。

『南無遍照金剛、南無神変大菩薩、南無聖宝尊師』

末資蓮華童子 合掌

*参考文献:『丹沢の行者道を歩く』(城川隆生著:白山書房(2005年))