蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

海国兵談(その2)

このブログでは本来取り上げるつもりのなかった話題ではあるが、不快感が相変わらず続いているので、前回分を補足することにした。
 
この件では、一つには国家主権というものを長く忘却していた日本国民を覚醒させたという指摘は事実だろう。分かりやすく言えば、明治時代を生きた先人が普通にもっていた熱い思いを、子孫たる平成の我々が遅まきながらも“思い出した”ということだ。
 
否、もっともっと分かりやすくしてしまえば、『侮辱された』という感覚を尖閣と国後で起きた一連でもったとしたら、それが国家主権を思い出す入り口なのだ。要すれば、日本という国に対する万感の思いがあり、祖国へ誓う決意があり、そして誇りがあって、但しそれを意識することなく普通に生活していた人たち。それをある日、遠慮なく踏みつけられるような経験を、しかも二回もされたことに対して感じた率直な怒りがその本質にある。
 
さて、私は一体何に怒っているのか、本当のところ何か。ここ数日じっと考えていた。上述のこともある。勿論だ。しかしながら、それだけか…。つまり祖国愛にかまけて逆に感傷的になっていないか、そんなことも含めてよく考えていたのだ。
 
一つ気が付いたことは、意外にもマスコミの報道姿勢にあった。
 
       今、国家権力が自分にとって都合の悪い真実を、国民の前から覆い隠そうとしているのではないか。
 
かつてあった『米国ウォーターゲート事件』、そして『西山事件』。前者はニクソン大統領を辞任に追い込んだことくらいは、我々もよく知るところである。後者については、『佐藤内閣の沖縄返還に際して、米国との間に核に係わる密約があった』というスクープはご存知だろう。『密約はない』がウソだったことが、事件から40年以上も経って判明したものである。
 
さて―――、このうち西山事件で少し思うことがあるので述べる。この事件で毎●新聞社は社会的信用を失い、一時倒産した。言論の自由を盾に西山記者を擁護する主張をしたものの、所謂『セックス・スキャンダル』の地雷を結果的に踏まされて、世間からそっぽを向かれてしまう。
 
私は、日本のマスコミの多くがこの時のトラウマを(何となくでも)引きずっているのではないか…。そういう疑いをもち始めている。そう、(一部のメディアを除く)メジャーとされるメディアが保身に走っているのではないか、その影がちらつく強い疑いである。
 
神戸海上保安部の彼が敢行した行為は、一見すれば“流出”であろう。しかしながら、私は、これはある意味“スクープ”ではないかと、ここ数日のうちに考えを変え始めている。マスコミとはまるで無縁の一人の海上保安官が、敏腕記者顔負けの“大スクープ報道”を放ったのだ。
 
ここで仮に『YouTubeごときに…』などという戯言あれば、あの無法な体当たりの真実を国民に知らせることの出来なかったメディアに、それを言う資格などない。YouTubeに乗ることで、中国を除く、世界中のユーザーの目に晒されたことの方がずっと重要だからである。世界中に配信することは、本来はマスコミが負うべきミッションであろう。
 
この間から見聞きするマスコミ報道は、『どうして“流出”してしまったのか』ばかりのようだ。だが、今マスコミが問うべきは、『なぜ菅内閣が一ヶ月もの間、この真実を隠していたのか』、その理由こそ追求すべきなのである。
 
『映像を公開することで中国を刺激し、国益に適わなくなる』などという官房長官の発言を、今となっては、我々は信用しない。有効な外交戦略を打ち出せず、右往左往するばかり。こういう菅内閣の外交素人と見まがうばかりの痴態を見せられたことへの失望感は、実に甚大である。失望を通り越して、すでに怒りのレベルに達していることは、諸賢の感じておられる通りに違いない。
 
★ こういう役に立たないと思われてしまった(⇒日本の国家安全保障に無定見の)日本政府の動きを、もっともっと追求するのが日本メディアに課せられた使命のはずだ。
 
繰り返すが、私はこれから、神戸海上保安部の彼は『“スクープ”を放った』と言うことにする。『流出させた』と言うこと自体、身体を張って職務に精励する(海猿を含む)海上保安庁組織の職を賭した彼に対して失礼だろう。
 
マスコミの皆さん、いつまでも『“流出”した…』などと言って、政府と一緒になって国民を欺くことは止めてくれ。『素人におちょくられた』と思うくらいなら、もっと根性を見せろ。