蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

第七末那識

唐突ですが、独白ということで…。

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(*)末那識:生存欲求の心であり、自我妄執の心であり、煩悩の源泉。
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密教修験道修行の最大難関とは、個人的には、この末那識へのアプローチから起きるとの印象が強くあります。つまり、その人の生存それ自体を、修行の名の下に、一定期間中に連続的に(強い力で)『否定』するからではないかと考えているのです。当然のことながら、『苦しみ』のあまり元の状態に戻ろうとして『リバウンド』のような状態が生じることは、種の生存本能から想定し得ることだと思います。

ところで中観派の説く『空性』とは、否定の連続構造を特徴とするものです。この連続的否定作業の突き抜けた先に、真言密教は『秘密荘厳心』という最終到達点を説きます。『秘密曼荼羅十住心論』と、その概論となる『秘蔵宝鑰』によって説明される絶対的境涯でありますが、そこに向かう実修の初期段階において、意識の著しい変容を衝撃的に体験することを、密門/験門の修行者は良く知らなくてならないと思っております。

聞き及ぶところでは、トランスパーソナル心理学では、この時に起きる一種の錯乱状態を『シャーマンの危機』として説明するようです。自らの体験を思い起こすとき、密教修験道を信仰する人は、その共通する大事として、如来蔵/本覚を自覚するべきことが第一になると心得ております。そもそも仏性を宿して生を受けたことに、何度も思い至らなくてはなりません。立ち止まることなく通過点のひとつとして受け止めて、決して拘らない。さらなる先を目指して、サイの角の如く、歩まなくてはなりません。