蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

山の刻印

以前、阿字観の実修会で言われたことで、『坐った時の感覚というのは、案外ずっと残っているもので、それは大切な感覚だ』と言う趣旨のアドバイスがあり、しばしば思い出している。

坐った後、K先生を囲んで茶話会をした。それぞれ普段は違う生活を送る人たち同士だ。他愛無い会話の中に『ピカッと』光るような発言が(必ず一つ二つ)飛び出すことがあり、相槌を打ちながらも、聞き耳だけは(ダンボの如く)立てていた(笑)。そして、その言葉の幾つかは今でも、自分のココロ奥深くに刻印され、静かに脈打つ『銘言』となって、折に触れて甦ってくるのだ。

昨年の秋から、週末は師僧のお寺に出掛けて護摩を修行している。手には法螺貝と護摩木などの入ったバッグ、背中には行衣を背負っていく。途中、渋谷駅で乗り換えるのだが、乗り換えの都合上、ターミナル内をかなり歩くことになる。某私鉄から某私鉄線へと移動する途中、結構急な階段の上り下りも待っていたりする。バリアフリーなど無かった時代に作られた階段は、実は、まだ渋谷駅ターミナル内に現存する(苦笑)。

小学校から高校に掛けて、私は山歩きをよくしていて、高校時代は県大会に参加したりもした。何かを求めて(それがよく分からなかったのだが)、のめり込むようにして打ち込んでいたのだ。高校生ながら、山の中では『霊気』なるものを感じる機会はあった。初めて丹沢ヤビツ峠から表尾根を登った時がそうだ。一瞬、とても冷たい気流がフッと掠めたが、それが私にとっての『山の洗礼』だったような気がする。ともあれ、最初の頃はそれが一体何なのかは知る由もなかった。

高校一年生の夏合宿で谷川岳に登山した時、私は完全にバテテしまって、メンバーに迷惑を掛けたことがあった。振り返れば、『餓鬼に魅入られた』とでもなるのだろう。しかし当時は、『単純に体力が備わっていなかっただけ』と固く信じ込んでいた。

その後、丹沢、三峰山、八ヶ岳朝日連峰、雪解け前の尾瀬、富士山など、『霊峰』に登山したのだが、その時の不思議な感覚は高校三年生の『大幹部?!』になった頃から、自分の中で、少しずつだかが形を取り始めていたような気がする。無論、その頃もまだ、ハッキリと言葉で表現する段階ではなかった…。

高校時代から数えて、30年近く経った。週末にアタックザック(リュックサックと言わないのだ!)を背負い、作務衣のズボンに、エアージョーダンのナイキを履いている人を見掛けたら、それは『行者さん』デス(苦笑)だが、そうやってバスと電車を乗り継ぎ、階段を上り下り、クタクタになってもひたすら前に前にと歩いているうちに、私の中でずっと惰眠を貪っていたに違いない『山行の感覚』が、とうとう甦ってきたような気がしている。

久しく不摂生と言うか、体力増強を怠けていたツケによって、最初の頃は、『これでもか!』とばかりに『疲れ』と『筋肉痛』が押し寄せて来た。だが、段々と足腰を中心とする体力が復活してくるに連れ、遥かに薄れかかった『記憶』が復活を果たしてきているな、そう実感している。

『山』から下りたら、『里』において、正しく再生することが大事だ―――。『山の行より里の行』とは、修験道修行者の戒めとするところであるが、大切なことは、山に逃げ込むのではなくて、それを里に還元しようとして奮闘する態度なのだ。『里は里で待ったなし』なのである。

ともあれ、身体全体で掴んだ記憶は、おいそれとは消えない。目には見えないが、確かにその人にとっての財産となるものだ。小学生時代、両親と一緒に歩いた信貴~生駒、葛城山二上山、奈良の諸街道などなど。さほど気にもしていなかったのに、振り返れば、家族揃って『巡礼』させて頂いたことにハッと気付く―――。その時の記憶が土台(功徳)となって、高校時代の登山体験を経て、自分の中でバージョンアップして沸々と甦る…。

そんなことをつらつらと、しかも有り難く思いながら、今度もまた渋谷駅のターミナル内を歩く。