蓮華童子の日記

真言秘密行法の修法@自坊を中心にアップして参ります。

鬼語

『祈祷の結果は出せたのか?』とか、或いは『修行もしないくせに、借りてきた言葉で喋るな』と、それも乱暴なトーンでやられると、残念ながら、今の密教教師の多くは沈黙します。まるで、釈尊の『無記答』に(頼まれたわけでもないのに)自ら志願して呪縛されることを好み、ひたすら立ちすくむことが当然であるかのように。『もっと個性出そうぜ』、なんですけど。

私のような『異端』が、身も世もなく『ドリャーッ!』とばかり突っ込むと、大抵は顰蹙を買うため、独りぼっちの戦い(?!)となります。何でそういう時だけ、自分だけが釈尊門下の優等生であろうとするのかなと。ことの良し悪しは別として、これは現実であります。

私はかつて某サイトで、サイト荒しで有名な『プロな人』に“公開百番勝負”を申し入れて、ネット上で徹底的にやり合ったことがあります。かなりシニカルなお考えでしたが、結構勉強もされているんですよね。

某本山の掲示板が、そのプロな人によって閉鎖に追い込まれたのだそうです。事情通の某師より直接お聞きして、密教某派の現役僧侶であることを知りました。尤も、書き込む内容からして、そうだろうなと思っていました。と言うのは、密教宗派の僧侶もまた、机の上の勉強をした人は、必ず『仏教通史』の論点でロジックを組み立てるからです。

その『通史』の中で、特に専門的な箇所として深堀りするのです。ある人は『原始仏教』のうちアビダルマであったり、ある人は『大乗仏教』のうち中観であったりという具合です。人によっては、それに飽き足らず『インド思想史』にまで視点を広げていきます。『シャンカラ大師の不二一元論』などと言ってピンとくる方は、私と徹底対論したそのプロな人と、大いに意気投合することでしょう(苦笑)。

実は、密教の成立過程を追っ掛けたいと思った場合、これだけはどうしてもしなくてはならないことなんです。幸か不幸か、それによって知識がドンドン専門的/先鋭的になっていきますので、万一この種のプロな人に突っ込みを仕掛けられた場合、大抵の仏教掲示板(?)は持ちません。そうです、『荒し』というレッテル貼りが、当然行われますから、そういう人は一層いきり立ってくる訳です。しまいに誰からも相手をされなくなりますので、私のような物好きと出会わない限り、2チャンネル辺りで頑張ることになるのかな―――、なんてね(笑)。

ともあれ、その論戦(?)が功を奏したのかは知りませんが、そこでの投稿実績がダントツの多さになり、気が付いたら『長老』になっておりました(苦笑)。それによってかなり鍛えられたと思うのですが、それにもまして、私のような振る舞いを、よくもまあそのサイトの管理人さまが寛大なココロで許可されたものよ、と振り返って本当に感謝しております。

ともあれ、程度問題もあり、是々非々の問題もあります。しかしながら、信奉する教えについて、あることないこと言われっ放しにするのは、やっぱり良くない。そしてやる以上、そういう輩には『痛撃』を与えることは必要だ、と思っています。

宗派は違いますが、畏れ多くも天台寺門/円珍智証大師の舌鋒は鋭く、ご自身の発する『鬼語』によって、業苦を受けることすら覚悟されたとお聞きします。それもまた『慈悲』なのだと…。

因みに、私は『覚海大徳』という高野山の大徳を尊敬申し上げる者です。この方は事教二相兼備の学僧として、後に『応永の大成』の中核となる『高野八傑』を育成された大徳です。伝えるところでは、晩年には魔族を饗応し、ご自身は『護法の神霊となり、永く宗祖大師の高野山を外護せん』と遺言し、(なんと!)翼を生やした大天狗となって、直ちに飛び去ったと。